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2018年05月16日 (水) 01:20 | このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - 揺れない立ち方 | | | Edit |
電車に立って乗っている時に、手に、何か凄く重い荷物が入った手提げ袋(カバン)を持っている、とイメージすると少々の揺れにはびくともしなくなる。

昔、何か重い荷物を持っていたときに揺れによろめかずにいられて、その後実際に持たずともイメージするだけで効果があることを発見した。
別にひざの曲げ方がどうとか、足裏にかかる体重や爪先の向きがどうとか細かいことは意識しなくて良い、というかしないで普通に立っているつもりだけでいる方が良く、手は体の横にぶらりと垂れ下げている必要も無い。実際の手は、スマホを顔の前に掲げていようが上着のポケットに突っ込んでいようが構わない。片方の手だけに荷物を持っているイメージよりは、両手に1個ずつ持っている方が安定感がありそうな気がするが、そこはあまり効果の差を実感できなかった。
細かいことは良く分からないものの、要するに、こうイメージする事で自分の重心を低く安定させる効果が表れるのだろうと思う。

あくまでイメージなので効果には個人差があるはずだが、電車で手すりや吊革に捕まる事が出来ない場合、試してみてはいかがだろうか。


ちなみに、「揺れない立ち方」と聞くと、私の場合は空手道の三戦(サンチン)立ちが真っ先に思い浮かぶ。
空手の基本中の基本。やや内股気味に、膝は軽く曲げて力を入れ、脇は締めて立つ。(イメージ図↓)

8c6756865f.jpg

某漫画によると、この三戦立ちは揺れる小船の上で戦えるよう編み出された構えだという事で、その漫画中ではなんと走るジェットコースターの上で格闘する際に用いられて空手家が優位に立つというムチャな展開があったが、とりあえずインターネット上には電車で揺れない立ち方として三戦立ちをお勧めする記事もある。
私個人的には、三戦立ちは電車にはお勧めしない。実際にやってみるとむしろバランスを崩しそうになる瞬間が幾度かあったし、それは鍛錬が成っていない所為もあるだろうけれど、革靴では十分な効果が見込めない、力みが必要なので長時間向きではないという問題もあり、そもそも何より、内股で力んでいる姿は傍から見ればうんこを我慢している様でしかないのでやめた方が良い。

そんな下らない話より、「揺れない」「立つ」というと、何か、人間形成の理想的な過程を表すありがたいお言葉があったような・・・、ほら、あれ何だっけ?

孔子じゃん。

論語じゃん。

子曰く 『15歳で「立志」、30歳で「而立(自立)」 、40歳で「不惑(不或)」、50歳で「知命」、60歳で「耳順」、70歳で「従心」』。
これを砕いて言うと、孔子はその人生において、「15歳の時に学問に志を立て、30になって自信を持って自分の考えで動けるようになり、40になって惑うことがなくなり、50になって天が自分に与えた使命を自覚し、60になって人の意見を素直に受け入れられるようになり、70になって心の思うままに行動しても道理から外れることがなくなった」ということだとか。
おや?論語を読んだことは無くてよく知らなかったけれど、この言葉って、別に「人間は各年代にこういう姿を目指すべき」と語ったものではなくて、孔子が「自分の人生(人間形成)はこうだった」と語ったというもののようだね。 ただ孔子に憧れる人にとっては目標としての意味が出てくるという事か。
余談だけれど、一説によると40歳の「不惑」は「不或」が正しく、その場合は「四十にて区切らず=自分の視野を広く持って新しいことからも多くを学べ、新しいことにも挑戦しろ」という意味になるそうな。

で、この言葉に対して、私自身はどんな状態だろう?

40で惑わなくなるようになんてなれる気がしないどころか、当ブログの更新が滞っている間に、新年度を迎え社長達が新入社員に送った言葉なんかを読みながら、私から新入社員達に送れるアドバイスなんて「電車で揺られない立ち方」くらいしか無いかも、なんて思ってしまう体たらくのサラリーマンなので、そうすると30で自立出来ていたかも怪しいところ。

それはそうと今更疑問に思ったが、孔子っていつの時代の人なの?
調べてみると、
紀元前552年から紀元前479年に生き、72歳で亡くなった中国(春秋時代)の思想家、哲学者。
2千5百年前の人か。そんなに昔の人だとは思わなかったな。

ちょっと待って! その時代に72歳まで生きるって、めちゃくちゃ長寿じゃないの?
と思って更に調べてみると、
同時期、つまり縄文時代の日本人の平均寿命は15歳弱。
でもこれは、昔の人がみんな短命だったという意味ではなく、か弱い幼児期の死亡率がすごく高かったということ。致命的な怪我や病気さえしなければ(それが難しいのだけれど)当時でも70歳、80歳まで生きることは出来たらしい。
ちなみに、釈迦も同時代(紀元前5世紀前後)の人だった。北インドの人物で、仏教の開祖である。釈迦もまた80歳まで生きた。そして悟りに達したのは35歳のときだったという。なんだか孔子とよく似ている。

日本はまだ縄文土器か弥生土器かとやっていた時代だったけれど、その頃に現代にも教えとして生きる思想・哲学が世界各地で生み出され書籍等として残されてきた、というのは凄いことだなと(この歳にして)思う。


暗記教科が嫌いで世界史もほとんど勉強した覚えが無いけれど、こんな風にして調べてみると面白い。「40にして不或(新しく学ぶ)」っていうのはこういう事かな?違うか(笑)

論語と仏教がほぼ同時にそれぞれ生まれたという事実は何か興味深いが、ではこの時代に他には何があったのか・・・?
おお、映画『300 〈スリーハンドレッド〉』で有名なテルモピュライの戦い(ペルシア軍がレオニダス王率いるスパルタ軍を全滅させる)もこの同時期、紀元前480年の出来事とな。
あの映画のイメージしか無いけれど、あのレオニダス王もまた、志が立ち、自立し、惑わず、天命を自覚し、心の思うままに行動して道理から外れなかった人ではある。孔子や釈迦と並べて語るのは憚られるが、レオニダス王の思想(?)「ウィー、アー、スパルター!」は個人的には大好きだ。

まぁ、ここらで現代の現実に立ち返るとして・・・そんなこんなから2千5百年経って、人間はその年月に見合った分賢くなったかというと、どうだろう?
文明がものすごく発展したのは確かだ。
孔子ひとりが2千5百年生きたところで、飛行機だの車だのインターネットだのパソコンだの品種改良されたイチゴだのといったものが現在のように存在する世の中にはなってはいまい。・・・ん?いや、その比較はおかしい・・・。
えーと、仕切りなおして、更に思いついたままに雑な計算をすると、

●今現在の世界人口は76億人だという。
●その平均年齢は分からないけれど、2016年の世界保健機関(WHO)調べの世界平均寿命は71歳だから、その半分が平均年齢って事にしよう。

すると、 76億人 × 71歳  ÷ 2 = 約2千7百億年(歳)


これが今生きてる人間の現在の年齢の合計値って事になるが、つまり、今の地球には一人の人間が2千7百億年生きて積み重ねるのに等しい英知が(アウトプットされているかどうかは別として)存在しているはず、と言って良い。
いやいや、2千7百億年ってどんなだ?壮大過ぎて分からない。 ビッグバンが138億年前というから、ビッグバンから現在までを大体19回やり直すことが出来る年月である。 なるほど全然わからない。
そんな年月分の価値があるほどの文明が今の地球上にある、と言えるのかどうかー・・・なんて事を考えてみたくてこんな計算を始めた気がするのだが。
そんな年月分の価値があるようにはどうも感じられないのは(個人の感想です)、人々の意思疎通が完璧ではないから、そこでの情報ロス率が高いということが理由のひとつとして言えるだろうか? 人類が全員孔子だったら(釈迦とかホーキング博士とかでも可)、そしてその意思疎通が完璧だったとすれば、言い換えれば、孔子ひとりが2千7百億歳まで生きたらどんな次元まで到達できるのだろうか? 完璧な意思疎通・・・あれ?もしかしてA.I.(機械)になら、理論上だけでも、そんな次元まで到達出来る可能性があるのだろうか・・・? って、あぁ、もう自分が何を言っているのかも全然分からなくなってきたぞ。
こんな時は初心に返ろう。

つまり私に言えることは、電車に乗ったら吊革につかまれよ、って事だ。




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