2018年05月23日 (水) 02:07 | このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - 映画『それいけ!アンパンマン ブルブルの宝探し大冒険!』 に大人気なく文句言う | | | Edit |
頭がこんがり焼けて髪の毛は無く、赤いコスチュームを着た、不死身のヒーロー。

と言えばデッドプールかアンパンマンである。
今回はアンパンマンの話。

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アンパンマンの1~2歳の幼児の心を掴む力の強さは異常だ。
我が家では、私も嫁もアンパンマンを(あまり好意的に思っておらず)娘に積極的には勧めなかったが、例に漏れず娘もアンパンマンに夢中になった。以降、テレビアニメこそほとんど見せた事が無いものの、おもちゃはそこそこ購入したし、一時期の自家用車内では娘が(その時々に)指定するアンパンマンソングが延々と流れ続けた。
そして2歳に成り立ての娘が映画館デビューを果たしたのが、『それいけ!アンパンマン ブルブルの宝探し大冒険!』 だったのである。

「アンパンマンが小さなお子様の映画デビューをおうえんしてくれます♪ 初めての映画は大好きなアンパンマンと一緒に!」 という宣伝文句で、劇場内はやや明るめ、音量はやや小さめ、内容はアンパンマンで、途中で一緒に歌ったり出来るシーンも挟みつつ上映時間はわずか62分、子供が途中でしゃべったりしても気兼ね無し! だったのだが
ちくしょう、デッドプールを見習えよ!!


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【ストーリー(概要)】
宝探し一族のライオンの男の子ブルブルは、一人前になるため、お父さんから渡された宝の地図を手に旅に出る。強がっているが本当は怖がりなブルブルを手伝うことになったアンパンマンたちだったが、そこへ宝を横取りしようと企むばいきんまんたちもやってきて……。
(2017年7月1日公開のシリーズ通算第29作目)



まぁ、娘(2歳)に、映画を観る前にテレビアニメ版をほんの2、3回しか見せた事が無かったのは良くなかったかもしれない。
メロンパンナちゃんがパンチするとハートマークが広がったり、クリームパンダのパンチがジャンケンみたいだったり、そんなのこの映画を観るまで知らなかった。
それを見て娘は歓声を上げて「わー、楽しいねえ!」と小躍りして大喜び。
・・・というのは映画館デビューから数ヶ月経って改めて本作を自宅でTSUTAYAレンタルしたDVDで観た時の話しである。
映画館で観た時には、開始45分程で娘は挫折。
ブルブルが蛇に食われかけて絶叫したところで「怖い!もう嫌!お母さんのところへ行く!」と大泣きし始めてしまい、残り15分ほどのクライマックス(上述のメロンパンナちゃん達活躍シーン含む)を観ずに映画館を出たのだった。

実際、「アンパンマンが小さなお子様の映画デビューをおうえん」してくれるような作品では全く無かったのである。

★ブルブルってキャラは8割叫ぶか号泣 → 劇場内、つられて泣く子供多数
★ブルブルと組むのはカレーパンマン → アンパンマンは中盤全く出番が無い


これが2大問題点だが、他にも問題山盛りだった。

既にシリーズ通算30作目となる次作『それいけ!アンパンマン かがやけ!クルンといのちの星』が間もなく2018/6/30(土)から全国公開されるという事で、全く今更なのだが『ブルブルの宝探し大冒険!』に対する文句を書き連ねておく。 ちなみに『デッドプール2』も6/1(金)から公開である。


① まずオープニングの観客参加型パートからダメ

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人気曲を劇中キャラクターと一緒に歌ったり手拍子したりして楽しめるパートがある、という触れ込みであったが、これが映画冒頭いきなりあって、しかもそこにしか無い。そしてキャラクター達が画面の中から観客に向かって「さぁ映画を観ているみんなも一緒に!」などと呼びかけてくる事も無い。 歌い出そうとする子供を「ダメよ」と制する親御さんの姿が劇場内で散見された。
ダメなのは子供ではなくこの映画である。
画面から観客に平気で話しかけてくるデッドプールを見習えよ!
というのは半分冗談だが、他の子供向け映画では普通に行われている事である。
どうやらこれはアンパンマン映画の毎度のお約束らしいのだが、そんな事はこちら(観客)の知ったことではない。むしろ29作も作ってきて何も学んでいないのかとあきれる。

更に言うと、この冒頭シーンは、その後の本編に全く関係が無い


② 『それいけ!カレーパンマン』をやるなら先にそう言え

初めから最後までスポットが当たり、ブルブルと関わっていくのはカレーパンマンである。
新鮮で面白いと言えなくはなかったが、それならそれで、映画のストーリー概要とかポスターとかで最初から「今回はカレーパンマンが大活躍!」などと謳うべきだっただろう(ポスターでのあの小さい扱いは何だ?)。 『それいけ!アンパンマン』を楽しみにして観に来た子供たちはどう思うのか? 私は、アンパンマンがしばらく登場しなくなった映画中盤で、娘から「アンパンマンは?」と聞かれた。そういう事だと思う。
「子供の付き添いで来た大人たちの為に、ちょこっといつもとは違う展開を見せてあげよう」とか「ちょっと飽きてきたからたまにはカレーパンマンが活躍する話でも作るか」とか考えたのか知らないが、多くの大人達はアンパンマン映画そのものを観に来たのではない。アンパンマンを観て喜ぶ子供を見に来たのだ。
この製作陣からは観客目線が抜け落ちているように思う。
「過激で面白いもの」を求める観客層に向けてばっちり求めている通りのものを実現して見せる事で、R18+指定を受けようとも世界中で大ヒットした『デッドプール』を見習いなさいよ。

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③ 映画オリジナルキャラのブルブルがダメ過ぎる

ダメ出しする前に先に断っておくが、娘はブルブルが大好きである。
映画を観てから数ヶ月はブルブルに全く興味が無さそうだったのだが、映画館デビューは大きく心に残る出来事だったらしく、いつの間にかブルブルのおもちゃを欲しがるようになり、ライオンの子供(ブルブル)にも興味を持ち、実物を見たいとサファリパークに行き、実物を抱っこして写真撮影し、帰りに買ってもらったライオンの子供のぬいぐるみに大喜びし、それを「ブルブル」と呼んであちこちに連れ回すようにもなった。 それに、自宅で同作のDVDを見たときには大はしゃぎだったのは先述の通りである。

それを踏まえてこんな事を言うのは心苦しいが、ブルブルというキャラはクソだ。

弱虫で怖がりなキャラが他の者のピンチに勇気を出して一皮向けて成長して大団円、というストーリーはよくあるもので一見その通り話が進行していくが、このブルブルは弱虫も怖がりも強がりも度を越している上に、(この手のキャラが持つはずの)優しさや思いやりや賢さは全く見受けられない。長所が無い。
登場シーンからして、彼が掘った穴のせいで崖から落ちかけ(てカレーパンマンに救われ)たカバオに対し、傲慢に知ったことかと言い放つ。その後、実は強がっているだけで弱虫なのだと判明した後はひたすら叫び号泣し続けるだけ。一度だけ極端に高難度(成功する方がおかしい難度。ちなみに失敗したら死ぬ)なチャレンジに挑んで、失敗して(カレーパンマンに命だけは救われるが)またいじけて号泣。これでは同情心も沸かず、ただただうっとうしい
最後こそ、散々世話になったカレーパンマンのピンチを救えるのは自分しかいないのだからと勇気を出した行動が功を奏するのであるが、動機はそれ以上でも以下でもなく、他のキャラは眼中に無い。そうして何をしてもだめだといじけていた彼が自信だけを得て真の宝探しに向けて歩み出したエンディングは、果たしてどの程度のハッピーエンドなのだろうか。

クソはクソでも、クソ無責任ヒーローと銘打たれ人気を博したデッドプールと違い、ブルブルは愛しようが無い。 デッドプールを見習えと。


④ ブルブルの家族(宝探しのライオン一族)もクソである。

彼の兄達は弱虫なブルブルをおちょくって(いじめて)泣かせて笑うだけ。
彼の父は「宝を見つけるまで帰ってくるな」と彼を怒鳴りつけて家から放り出すだけ。(母の描写は無い。)

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確かに、「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」ということわざはある。獅子は子が生まれてから3日経つと、わが子を深い谷へ投げ落とし生き残った子だけを育てる、という中国の言い伝えを基にした諺で、自分の子に厳しい試練を与えることで立派に育てるというものの例えである。
最後、宝箱の中に入っていたのは、一人前の冒険家になった事を認める証の帽子と、真の宝物の地図であった。 なるほどこれは父がブルブルに与えた試練だったのだ。
・・・だがそれで良いのか?

実は陰からひそかに父や兄達がブルブルの冒険を見守っていた、という描写が入るならば良い。 例えば、ラストで遠くに吹き飛ばされたバイキンマンが再び宝を狙いに戻ろうとするところを父や兄達が取り押さえる、とかだ。 しかしそんな描写は無い。
宝探しの舞台となったオニツノ島はなかなかに危険なところで、実際、ブルブルはワニにもヘビにも食われかけ、尖った岩を吹き付けてくる守護者(いいかげんに城)達に襲われ、崖にも落ちかけた。いずれもアンパンマンらに救われたが、そうでなかったら死んでいた。 そんな試練に放り出して後は無関心に放置する事は、子の成長の為の愛のムチの美談にはならないと思うのだが。 いまどき、一体何を考えてこんなストーリーにしたのだろう。 子供に何を伝えたいのだ? 何も考えてないとしか思えない。

デッドプールは過激で面白ければそれで良いと言わんばかりの内容だったけど、ちゃんと筋の通ったラブストーリーだったぞ。デッドプールを見習えよ。

(ちなみに、上記の諺の獅子というのは想像上の架空の生物であり、中国故事の麒麟が動物のキリンの事ではないように、この獅子はライオンの事ではない。そしてライオンは我が子にそんな事はしない。)


⑤ 舞台設定から何から何まで安易

今回の映画の(宝探しの)舞台となるのは、オニツノ島という島である。
見た目が鬼の頭に似て、2本の角が突き出たような形をしている。

角の先端に隠されている宝の鍵は、月と星の形。

島の中の宝が隠された遺跡は、ヨーロッパあたりにありそうな石造りの古い砦といった趣の遺跡。

そこで力づくで宝を得ようとした者に牙を向く守護者達は、岩の小さい砦に手足が生えたような、昔のドラクエに出てきたゴーレムという敵のような姿である。

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・・・何だろう、この統一感の無さは?
鬼なら鬼で、モチーフ統一して守護者も鬼の姿にするとか、桃太郎に絡めて犬猿雉の姿にするとか、何かしてよ・・・。 あとそこに何らかの物語性も持たせなさいよ・・・。
製作陣はこれがアンパンマンだからってなめてるとしか思えない。「小さなお子様の映画デビューをおうえん」だなんて、そんな事するつもりも無い宣伝文句並べて、いや、そんな事しなくて何もしなくてもそれなりの数の観客が勝手にやってくるから、あとはそいつらに、小学生が1分で考えたようなストーリーとデザインで適当にアンパンマンが動く動画を見せておけば十分、とか思ってんじゃないの?
アンパンマンが、言葉も分からないような子供を(国籍や文化も問わずに)強烈に惹きつける力を持ちながら日本国内でしか通用しないものに留まっているのは、アンパンが日本にしかない食べ物だからとか、顔を食べる描写が食人を想起させるからとか(日本にだって食人文化は無いっつーの)いう理由ではなくて、こういう心意気やクオリティの低さが一番の原因ではないのかと思う。

分からないではない。
この先10年、20年後も変わらず幼児達に愛され続ける(同じような興行収入を上げ続ける)為には、そんな熱意は不要で、この程度のクオリティを維持し続けることこそが肝要なのだろう。長い目で見た商売上の都合ってやつだ。
しかし、前作を、既存の作品を超えようという心意気も、いかなる思いも、熱も、魂も込められていない作品のなんとつまらないことか。
デッドプールを見習え!なんて言っても、「じゃあお前はハリウッド作品だけ見てろよ」と返されるだけなんだろうな。つまんない。はいはい、俺は『デッドプール2』を観に行きますよ。すごく楽しみにしているよ。『それいけ!アンパンマン かがやけ!クルンといのちの星』も娘からリクエストされそうだから観に行くかもね。どうか『ブルブルの宝探し大冒険!』よりマシなものでありますように。


⑥ ちなみに、映画鑑賞者(お子様)にはポストカードが配られた

劇場を出るとスタッフから映画の思い出を書き綴れるポストカードが配られた。

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「はじめての映画館の思い出 記念レポート」
「写真を貼ったり、メッセージをかいて、大切な思い出を残しましょう★」とある。
そんな楽しい思い出になるかと思って行ったんだけどね。 まぁ、今となっては良い思い出ではある。


⑦ ついでに言うけど、ブルブルのモデルになった絵本『やさしいライオン』ってどうなの?

当映画のブルブルは、アンパンマン原作者のやなせたかし氏による絵本『やさしいライオン』の主人公をモデルとして作られた映画オリジナルキャラクターである。
ただし、『やさしいライオン』の主人公とはライオンの男の子で名前がブルブルという事以外は特に共通点は無い。

ちなみにちっとも優しさが見えない映画版ブルブルに対し、『やさしいライオン』はどんな話なの?というと、

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【ストーリー】
動物園にいた孤児のライオンの男の子が、優しい犬に育てられ、優しいライオンに育ちました。やがてライオンは都会のサーカスに連れて行かれて2匹は離れ離れに。しばらく経ったある日、ライオンは母犬の子守唄が聞こえた気がして、会いに行くために檻を脱走し、街を駆け抜け、そしてすっかり歳を取って今にも死にそうな母犬を見つけました。しかしその場で警官隊に射殺されてしまいます。それでも2匹は心安らかに仲良く天に召されました。おしまい。



分からない・・・。なんでこれが、良い話風に語られ、「やさしいライオン」なんて題名が付けられているのか、本当にさっぱり分からない。
親が、老衰の死に目の最期に見たものが、息子が目の前で射殺される光景だぜ? 会えたから幸せとか、人間恨んでないから優しいとか、それでいいのかい? 激怒した犬が警官隊全員食い殺した後にライオンの亡骸を守るように仁王立ちしたまま死亡、なんて話の方がマシだと思う私はこう言いたいね。

『ランペイジ 巨獣大乱闘』 を見習えよ!(笑)


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テーマ:映画館で観た映画
ジャンル:映画
2018年05月21日 (月) 23:53 | このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - 塗り絵の上達 | | | Edit |
娘(3歳)の塗り絵は、だいぶ以前からつい2週間前までずっと、(主に)そのキャラクターのイメージカラー一色で枠も線も関係無しにぐちゃぐちゃ塗り潰すという乱暴な感じだったのだが、

塗り絵(2週間前) ↓ 2 WEEKS AGO

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塗り絵(本日) ↓ TODAY

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なんか急に進化してた。

ある日髪飾りなどのワンポイントだけ別な色を塗るようになったなと思ったら、あっという間に多色使うようになり枠もあまりはみ出さなくなった。 基本的に好きなようにやらせていただけで特に親から助言等はしていないし、何がきっかけになったかは分からないのだけれど、屈託のない笑顔を浮かべたこの一見何も深い事は考えてなさそうな頭の中では、その実、物凄い量の情報が吸収され、色々な発想が生まれ、吟味され、まだ見ぬ分野に至るまで今この瞬間も急成長を遂げている最中なのだろう。 子どもの成長力というか生命力にはつくづく感動させられる。
もちろん、親としてはただ「いつの間にそんな事が出来るようになったの?」と驚いて喜んでいるだけというわけにはいかず、いかにそれを長く、継続的に、効率的に、且つ自発的に続けさせられるかといったような事に注意しながら教育していかなくてはならない責任の重さも感じるのであるが。。

ちなみに、娘の誕生日プレゼントのひとつとして嫁が買ってきたこのプリキュア塗り絵、なんと53人のプリキュアが登場するそうである。 53人・・・そんなにいるのか! (あとまだ8割くらいは白紙のまま残っている。)

すごいねーなどと言って褒めていたら、娘からリクエスト(命令ともいう)を受けて私が塗り絵のベース絵を描く羽目になった。「書いて。」え、マジで?「マジ?」ごめん書くからマジなんて言葉は忘れて。使わないで。

1作目(キュアカスタード) ↓

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私が描いた後に娘が色を塗り、また、裏の別の絵が色移りしてしまって分かりづらいが、それでも隠せない下手さ。


3作目(キュアショコラ) ↓

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これは割と上手く描けた。 目を先に書いてからバランスに注意して他の部分を書いていく、とやると良いようだ。
でも娘にあまり色を塗ってもらえず、残念・・・。
ただ、老化が実感される今日この頃において、まだ私も成長出来る事があると分かったのは良かった。(笑)




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2018年05月16日 (水) 01:20 | このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - 揺れない立ち方 | | | Edit |
電車に立って乗っている時に、手に、何か凄く重い荷物が入った手提げ袋(カバン)を持っている、とイメージすると少々の揺れにはびくともしなくなる。

昔、何か重い荷物を持っていたときに揺れによろめかずにいられて、その後実際に持たずともイメージするだけで効果があることを発見した。
別にひざの曲げ方がどうとか、足裏にかかる体重や爪先の向きがどうとか細かいことは意識しなくて良い、というかしないで普通に立っているつもりだけでいる方が良く、手は体の横にぶらりと垂れ下げている必要も無い。実際の手は、スマホを顔の前に掲げていようが上着のポケットに突っ込んでいようが構わない。片方の手だけに荷物を持っているイメージよりは、両手に1個ずつ持っている方が安定感がありそうな気がするが、そこはあまり効果の差を実感できなかった。
細かいことは良く分からないものの、要するに、こうイメージする事で自分の重心を低く安定させる効果が表れるのだろうと思う。

あくまでイメージなので効果には個人差があるはずだが、電車で手すりや吊革に捕まる事が出来ない場合、試してみてはいかがだろうか。


ちなみに、「揺れない立ち方」と聞くと、私の場合は空手道の三戦(サンチン)立ちが真っ先に思い浮かぶ。
空手の基本中の基本。やや内股気味に、膝は軽く曲げて力を入れ、脇は締めて立つ。

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某漫画によると、この三戦立ちは揺れる小船の上で戦えるよう編み出された構えだという事で、その漫画中ではなんと走るジェットコースターの上で格闘する際に用いられて空手家が優位に立つというムチャな展開があったが、とりあえずインターネット上には電車で揺れない立ち方として三戦立ちをお勧めする記事もある。
私個人的には、三戦立ちは電車にはお勧めしない。実際にやってみても上手くいかなかったし、それは鍛錬(構え)が成っていない所為もあるだろうけれど、革靴では十分な効果が見込めない、力みが必要なので長時間向きではないという問題もあったし、そもそも何よりも、内股で力んでいる姿は傍から見ればうんこを我慢している様でしかないのでやめて欲しい。


そんな下らない話より、「揺れない」「立つ」というと、何か、人間形成の理想的な過程を表すありがたいお言葉があったような・・・、ほら、あれ何だっけ?

孔子じゃん。

論語じゃん。

子曰く 『15歳で「立志」、30歳で「而立(自立)」 、40歳で「不惑(不或)」、50歳で「知命」、60歳で「耳順」、70歳で「従心」』。
これを砕いて言うと、孔子はその人生において、「15歳の時に学問に志を立て、30になって自信を持って自分の考えで動けるようになり、40になって惑うことがなくなり、50になって天が自分に与えた使命を自覚し、60になって人の意見を素直に受け入れられるようになり、70になって心の思うままに行動しても道理から外れることがなくなった」ということだとか。
おや?論語を読んだことも無くってよく知らなかったけれど、この言葉って、基本的には孔子が「自分の人生(人間形成)はこうだった」と語ったというものであって、別に「人間は各年代にこういう姿を目指すべき」と語ったものではないのね。ただ、孔子に憧れる人にとってはそういう意味になってくるという事か。
ちなみに、一説によると40歳の「不惑」は「不或」が正しく、その場合は「四十にて区切らず=自分の視野を広く持って新しいことからも多くを学べ、新しいことにも挑戦しろ」という意味になるそうな。

まぁ、自分自身は、どうですかね?

40で惑わなくなるようになんてなれる気がしないどころか、当ブログの更新が滞っている間に、新年度を迎え社長達が新入社員に送った言葉なんかを読みながら、私から新入社員達に送れるアドバイスなんて「電車で揺られない立ち方」くらいしか無いかも、なんて思ってしまう体たらくのサラリーマンなので、そうすると30で自立出来ていたかも怪しいところ。

それはそうと孔子っていつの時代の人なの?
調べてみると、
紀元前552年から紀元前479年に生き、72歳で亡くなった中国(春秋時代)の思想家、哲学者。
2千5百年前の人か。そんなに昔の人だとは思わなかったな。

ちょっと待って! その時代に72歳まで生きるって、めちゃくちゃ長寿じゃないの?
と思って調べてみると、
同時期、つまり縄文時代の日本人の平均寿命は15歳弱。
でもこれは、昔の人がみんな短命だったという意味ではなく、か弱い幼児期の死亡率がすごく高かったということ。致命的な怪我や病気さえしなければ(それが難しいのだけれど)当時でも70歳、80歳まで生きることは出来たらしい。
ちなみに、釈迦も同時代(紀元前5世紀前後)の人だった。北インドの人物で、仏教の開祖である。
この釈迦もまた80歳まで生きた。
そして、悟りに達したのは35歳のときだったという。
なんだか孔子とよく似ている。

日本はまだ縄文土器か弥生土器かとやっていた時代だったけれど、その頃に現代にも教えとして生きる思想・哲学が世界各地で生み出され書籍等として残されてきた、というのは凄いことだなとこの歳にして思う。

暗記教科が嫌いで世界史もほとんど勉強した覚えが無いけれど、こんな風にして調べてみると面白い。「40にして不或(新しく学ぶ)」っていうのはこういう事かな?違うか(笑)

なお、映画『300 〈スリーハンドレッド〉』で有名なテルモピュライの戦い(ペルシア軍がレオニダス王率いるスパルタ軍を全滅させる)もこの同時期、紀元前480年の出来事である。
あの映画のイメージしか無いが、あのレオニダス王もまた、志が立ち、自立し、惑わず、天命を自覚し、心の思うままに行動して道理から外れなかった人ではある。孔子や釈迦と並べて語るのは憚られるが、レオニダス王の思想(?)「ウィー、アー、スパルター!」は個人的には大好きだ。

まぁ、そんなこんなから2千5百年経って、人間はその年月に見合った分賢くなったかというと、どうだろう?
文明がものすごく発展したのは確かだ。
孔子ひとりが2千5百年生きたところで、飛行機だの車だのインターネットだのパソコンだの品種改良されたイチゴだのといったものが現在のように存在する世の中にはなってはいまい。・・・ん?いや、その比較はおかしい・・・。
えーと、仕切りなおして、更に思いついたままに雑な計算をすると、

●今現在の世界人口は76億人だという。
●その平均年齢は分からないけれど、2016年の世界保健機関(WHO)調べの世界平均寿命は71歳だから、その半分が平均年齢って事にしよう。

すると、 76億人 × 71歳  ÷ 2 = 約2千7百億年(歳)

これが今生きてる人間の現在の年齢の合計値って事になるが、つまり、今の地球には一人の人間が2千7百億年生きて積み重ねるのに等しい英知が(アウトプットされているかどうかは別として)存在しているはず、と言って良い。
いやいや、2千7百億年ってどんなだ?壮大過ぎて分からない。 ビッグバンが138億年前というから、大体19回、ビッグバンから現在までをやり直すことが出来る年月である。 なるほど全然わからない。
そんな年月分の価値があるほどの文明が今の地球上にある、と言えるのかどうかー・・・なんて事を考えてみたくてこんな計算を始めた気がするのだが。
そんな年月分の価値があるようにはどうも感じられないのは(個人の感想です)、人々の意思疎通が完璧ではないから、そこでの情報ロス率が高いということが理由のひとつとして言えるだろうか?
人類が全員孔子だったら(釈迦とかホーキング博士とかでも可)、そしてその意思疎通が完璧だったとすれば、言い換えれば、孔子ひとりが2千7百億歳まで生きたらどんな次元まで到達できるのだろうか?
完璧な意思疎通・・・あれ?もしかしてA.I.(機械)になら、それが出来るのだろうか?理論上、そんな次元まで到達出来る可能性があるということだろうか・・・って、あぁ、もう自分が何を言っているのかも全然分からなくなってきたぞ。
こんな時は初心に返ろう。

つまり私に言えることは、電車に乗ったら吊革につかまれよ、って事だ。




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