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2018年11月06日 (火) 02:51 | このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - ねむい | | | Edit |

プレーリードッグが1匹・・・プレーリードッグが2匹・・・プレーリードッグが・・・3・・・
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2018年10月02日 (火) 21:20 | このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - 「ネクタイどこ行った?」「頭に巻いてるじゃないですか」 | | | Edit |
いえね、たぶんオチが無い話になるんですけどね、

今年のクールビズが先週(9月末で)終わったじゃないですか。

で、昨日から久しぶりにネクタイ締めてジャケット羽織って出社してるんですけども、今朝ふと気が付いたんですね。

地下鉄に乗りながら周りの男性乗客を見渡して、「あれ?みんなノーネクタイじゃん?ジャケット羽織ってる人もちょっとしかいないじゃん?」って。

不思議に思って地下鉄から降りてから駅構内でも駅の外に出てもキョロキョロと周りのスーツ姿の男性達を観察してみたんですが、やっぱり99%くらいの人がノーネクタイ。ジャケット着用者だって3割程度。
職場によっては10月末までクールビズという所もある事は知っていますが、それにしたってクールビズじゃない人が少な過ぎる。
なんか知らない間に、かしこまった打ち合わせの時とか以外はネクタイもジャケットも着けなくていいのがスタンダードという世の中になってましたかね?
それとも福岡市だけの流行り?

今日は肌寒いのでジャケットは着たらいいのにとは思うけど、ネクタイを着けたくない気持ちは分かる。だって面倒くさいもん。無い方が首周りも楽だしね。
特に私個人的には、今の仕事は外出も対外折衝も無いし、最近ずっと着ているのが(やや太った体型に合わせて)駅前の百貨店の紳士服セールで2着19,800円で買ったスーツなものだから、そんな業態と姿の私がネクタイを着ける意味が見出せない。
(たまに)体型に合ったそれなりに生地・仕立ての良いスーツ、Yシャツを着て身だしなみを整えると気分はアガる。ファッションに疎い私でも見た目が何か確実に良い事は分かるし、何と言っても着心地が良い。所作も美しくしようって気持ちになる。その中でネクタイも見栄えの面では大事なアイテム・・・ではあるのだがこいつは見栄えだけで、それでも着心地の面では邪魔なだけの代物なんだなあ。
ウンコする時なんか超邪魔じゃん? 君はウンコする時、ネクタイを丸めて胸ポケットに入れる派?Yシャツの第2・第3ボタンの間辺りに挟む派?背中に垂らす派?口に銜える派? みんなどうしてるんだろうな。
とにかくネクタイはもっと進化するべきだと思うよ。




2018年08月26日 (日) 12:28 | このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - 昨日は月が綺麗でしたね。 | | | Edit |

そんなわけで試験を受けにやってきたのだ。

結構難しくて笑う \(^O^)/

午後からの論文試験もとりあえず真面目にやってみます。

テーマ:転職
ジャンル:就職・お仕事
2018年07月20日 (金) 01:13 | このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - 爺さん(1917年生まれ)から贈られた木馬 | | | Edit |
私の家には古い木馬がある。
底面には父方の祖父の名が刻まれている。
「○○年○月 (私の名)満一歳 誕生祝 祖父○○」 
私が小さい頃にだいぶ使い込んで小さな傷がたくさん付いているが、優しいフォルムのその木馬はしっかりした作りの品で、今では私の娘が楽しそうに使っている。

先日、その祖父が亡くなった。

100歳だった。

同じ事を何度も繰り返ししゃべるなどするようになってきてはいたものの基本的に頭も体もしっかりしており、去年は誕生日の直前に一度体調を崩したものの持ち直し、無事、本人も楽しみにしていた100歳の誕生日を迎え、遠方に住む私もお祝いの品を送ったし、市からも賞状や記念コインみたいなものを貰ったそうだ。 先日生まれた長男も一度会わせに行きたいと思っていたのだけれど、また体調が急激に悪化し、今度は駄目だった。
しかし大往生だったと言えるだろう。

それにしても100年とは畏怖を感じさせる長い年月だが、あまりピンと来ないので、爺さんが生まれた 1917年 (大正6年) はいったい何があった年なのか調べてみた。

それは第一次世界大戦の真っ最中であった。(第二次どころか第一次かよ。)
中華民国で孫文が広東軍政府を樹立したとか、ロシア革命が起きたとか、フィンランドがロシアから独立を宣言したとか、歴史上の出来事としか思っていなかったものがその年の年表に並ぶ。 ニコン(当時は日本光学工業株式会社)、森永乳業(当時は日本煉乳株式会社)、明治乳業(当時は極東練乳株式会社)が創立されたのもこの年。 Wikipediaによればフィクションの世界では、いちご坂がノワールの手によって闇に落ちるも当時のプリキュア・ルミエルがノワールと戦った(アニメ『キラキラ☆プリキュアアラモード』)のもこの1917年だそうである。マジかよ。
しかし何より私にとって一番インパクトがあった事実は、この祖父が 第35代アメリカ合衆国大統領 ジョン・F・ケネディ とタメだった事だ。 それを知った瞬間に胸に湧き上がったのは、特に意味も無く面白がり感嘆する気持ちと、少し恐怖にも似た畏怖が半々くらいの気持ち。 それは遠い過去の、『歴史』としか認識していなかった出来事(しかも主に戦争)が身近に感じられた瞬間だった。
100年は、世界が何度も大きく変わりうるだけの年月であると共に、人ひとりが生ききる事が出来るだけの年月でもある。 長いような、短いような。

近い親族だけの小さな葬儀が行われ、通夜の喪主挨拶では爺さんの生涯が紹介された。
東北の田舎の裕福な家の9人兄弟のひとりとして生まれたものの、バス事業が失敗して一家困窮する生活に変わり、戦争が始まって中国に派兵され、負傷し、亡くなった戦友の妹と結婚し、無一文で大陸から引き揚げてきて、、、と、意外なように当然のように波乱万丈で、そして私は初めて聞く内容が多かった。

私はまだ長男が生まれたばかりであったので、遠方で行われるこの葬儀に妻子は同行せず一人で来た。集まっていた親戚の中には私が約30年ぶりに会うような人も多かったが、再び顔を合わせることが出来たのは良かった。よく言われる事であるが、これも故人=爺さんのおかげと言える。
大往生ということでしんみりより和気藹々とした通夜の食事が終わり、人が減りテーブルも綺麗に片付くと、今度は女性陣だけが1つのテーブルに集まって(男性陣は距離を置いてさっさと解散)、今だから言える爺さん・婆さんについての暴露話を笑いあう女子会が始まった。 翌日の告別式まで含めて、皆から100年を労われ、感謝され、誠意を持ってしっかりとした葬式で温かく送り出された爺さんであるが、しかしそこは大正生まれの爺さん(と婆さん)である。 家族旅行中に訪れた温泉旅館の女将さんに一目ぼれした爺さんのエピソードなんかは普通に笑える話だったが、我が子らやその嫁達に(現在の価値観からすれば)まるで洒落にならない理不尽・傲慢な仕打ちをした事も1度や2度ではないようで・・・地獄の女子会は夜遅くまで続いた。 まぁそういう事も含めたものが「弔う」という事なのかもしれない。


かく言う私も、この祖父母とは色々あって約25年間にわたり一切の関わりを絶っていた人間(爺さんの長男の長男)なのである。

4年前、私の結婚式の時に、私は爺さんに電話を掛けた。
その電話で私と祖父は約25年ぶりに言葉を交わした。

爺さんは私の結婚にあたり祝儀金を私の父に託した。祝儀と共に父に託された伝言は「この金は返さないで受け取って欲しい」だった。私は少し考えてからその祝儀を受け取ることにし、電話はお礼を言うためにすぐ式場の待合室から掛けた。短くも普通の会話をした。
それがきっかけとなって疎遠ながら交流が復活し、2年前には私は妻子を連れて家族旅行がてら爺さんに会いに行った。
当時、爺さんはまだ(既に)98歳。 爺さんはサービス付高齢者向け住宅に入っていたが、まだまだ元気で頭もしっかりしていた。 正直に言って、どんな面会になる事かと危惧もしていたけれど、どこにでもいる祖父(母)と孫のような和やかで穏やかな時間を過ごす事が出来た。 嫁も安心したのではないかと思う。
この約30年ぶりの再会が、私と爺さんの生前最後の対面となった。


私と祖父母の間の真に暗い思い出を語る気は無いが、ただ、「この金は返さないで受け取って欲しい」の言葉の意味はここに書いておこうと思う。


30年ぶり且つ生前最後の対面時、1歳になったばかりの私の娘が曽祖父に上機嫌にあやされつつ大泣きする様子を見ながら、私は木馬のことを思い出して、
「爺さんが私の1歳の誕生日のお祝いにくれた木馬、まだ現役で今はこの娘ちゃんが漕いで良く遊んでいるよ」
と言ったのだが、爺さんは何のことだか分からない様子だった。 まぁ98歳じゃなくてもそんな昔に人に贈ったプレゼントを忘れてしまうのは仕方ない。しかし、そうではなかった。

後日、私の両親から木馬の件について「あの場では言わなかったが」と説明された。

あの木馬は、爺さんから誕生日祝にと貰ったお金で両親が選んで買って、底に祖父名を彫ったものだという事だった。だから祖父は木馬の認識がそもそも薄い。そして・・・
私は中学生時代に、祖父から、それまでに祖父母から貰った誕生祝やお年玉などについていつ・いくら渡したかが書かれたリストを送りつけられ、その金を全て返せと迫られた。 何か喧嘩していて売り言葉・買い言葉でそういう流れになったわけではなく、祖父母が金に困窮していたわけでもなく、ただ、そう、故人である事に配慮して言っても、祖父母はそういう無茶を言って相手が困ったり怒ったりするのを見て喜ぶような人達で、その意地悪に特に理由は無かった。 この返金要求については最初は「何を馬鹿な」と跳ねつけたけれど、その後の挑発的な催促にキレた両親はその金額に利息を上乗せして祖父に突き返したのだった。 つまり、今やこの木馬は祖父の金で買った物だとすら言えないのだ。
私は、お年玉などを全て返した事はもちろん覚えていたけれど、木馬もそこに含まれる品だったとは知らなかった・・・。(そんな話は知りたくなかった、と聞かされた当初は両親にイラついたものだ。)

元々疎遠だったし、絶縁の主な理由は全く別にあるが、最終的に私と祖父母が完全な絶縁状態になったのはこの粗末な返金事件からだった。
そうして私の妹の葬式に彼らは参列せず、婆さんの葬式に私達は参列せず、お互いその墓の場所すら知らない。一切の連絡も取らなかった。ずっとそのままで良いと思っていた。

長い年月の断絶後、どんな心の動きがあって爺さんが結婚祝儀を「この金は返さないで受け取って欲しい」という伝言と共に父に託したのかは分からない。 改心するような人ではないと思っていたが、とうに祖母が亡くなり、いよいよ老人ホームに入り、100歳も近付く年齢となって何か思うところがあったのか。

一方の私は、結婚祝儀からの交流復活が無ければ、今回私が祖父の葬儀に行くことも無かったはず。 それで良いと思っていた私が、結婚祝儀を受け取り拒否せず祖父との絶縁状態を解消する方向に歩むことにしたのは、妻子の為になる可能性を感じた事だけが理由であった。
それから4年。 葬儀で祖父を穏やかな気持ちで見送った今は、許せぬ事は許せぬまま、それはそれとして祖父母がいなければ私もこの子供たちも世に存在しなかった事、そして2度の世界大戦を含むこの100年、いや他の時代であっても100年間という人生の凄みにある種の敬意を抱きつつ、一般的=幸せと呼べるような祖父と孫としての形で最後を締めくくる事が出来た事を大事に、これで良かったのだと思っている。
私は、娘や息子に対して、祖父母(子供たちからすると曽祖父母)について優しかったとか良い人だったとかの作り話をする気は無い。だが特に悪い事を伝える気も無い。 ただ木馬の裏に祖父の名前が彫られている事、娘は赤ちゃんの頃に祖父に実際に会ってあやしてもらった事、息子には祖父が誕生を喜んでくれていた事を伝えようと思う。
近い将来にはまだ赤ちゃんの息子も自分の足で立って木馬で遊ぶようになるだろう。
いずれこの子たちを連れて祖父母の墓参りに行く機会もあるのかもしれない。


爺さんは結婚祝儀のお返し(内祝い)で嫁が選び私が送ったガウンジャケットを愛用してくれていて、その後、傷んできたジャケットの代わりに100歳のお祝いで新しいジャケットを贈った。
爺さんの遺影には、そのジャケットを着て笑顔を向けている写真が使われた。








【蛇足余談】
爺さんは、生前最後に対面した際、ある有名なボクサーが親戚であると話していました。
ただ本当に親戚であるかは不明です。
通夜の喪主挨拶で紹介された爺さんの生涯で、爺さんには8人の兄弟がいたという事だったので、もしかするとそのボクサーは爺さんの兄弟の誰かの孫なのかもしれない、なんて思うものの、祖父亡き今、私の父達を含めてその方達と付き合いのある親戚はいませんし、その消息も不明。勿論、その関係者の葬儀参列もありませんでした。


2018年05月16日 (水) 01:20 | このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - 揺れない立ち方 | | | Edit |
電車に立って乗っている時に、手に、何か凄く重い荷物が入った手提げ袋(カバン)を持っている、とイメージすると少々の揺れにはびくともしなくなる。

昔、何か重い荷物を持っていたときに揺れによろめかずにいられて、その後実際に持たずともイメージするだけで効果があることを発見した。
別にひざの曲げ方がどうとか、足裏にかかる体重や爪先の向きがどうとか細かいことは意識しなくて良い、というかしないで普通に立っているつもりだけでいる方が良く、手は体の横にぶらりと垂れ下げている必要も無い。実際の手は、スマホを顔の前に掲げていようが上着のポケットに突っ込んでいようが構わない。片方の手だけに荷物を持っているイメージよりは、両手に1個ずつ持っている方が安定感がありそうな気がするが、そこはあまり効果の差を実感できなかった。
細かいことは良く分からないものの、要するに、こうイメージする事で自分の重心を低く安定させる効果が表れるのだろうと思う。

あくまでイメージなので効果には個人差があるはずだが、電車で手すりや吊革に捕まる事が出来ない場合、試してみてはいかがだろうか。


ちなみに、「揺れない立ち方」と聞くと、私の場合は空手道の三戦(サンチン)立ちが真っ先に思い浮かぶ。
空手の基本中の基本。やや内股気味に、膝は軽く曲げて力を入れ、脇は締めて立つ。(イメージ図↓)

8c6756865f.jpg

某漫画によると、この三戦立ちは揺れる小船の上で戦えるよう編み出された構えだという事で、その漫画中ではなんと走るジェットコースターの上で格闘する際に用いられて空手家が優位に立つというムチャな展開があったが、とりあえずインターネット上には電車で揺れない立ち方として三戦立ちをお勧めする記事もある。
私個人的には、三戦立ちは電車にはお勧めしない。実際にやってみるとむしろバランスを崩しそうになる瞬間が幾度かあったし、それは鍛錬が成っていない所為もあるだろうけれど、革靴では十分な効果が見込めない、力みが必要なので長時間向きではないという問題もあり、そもそも何より、内股で力んでいる姿は傍から見ればうんこを我慢している様でしかないのでやめた方が良い。

そんな下らない話より、「揺れない」「立つ」というと、何か、人間形成の理想的な過程を表すありがたいお言葉があったような・・・、ほら、あれ何だっけ?

孔子じゃん。

論語じゃん。

子曰く 『15歳で「立志」、30歳で「而立(自立)」 、40歳で「不惑(不或)」、50歳で「知命」、60歳で「耳順」、70歳で「従心」』。
これを砕いて言うと、孔子はその人生において、「15歳の時に学問に志を立て、30になって自信を持って自分の考えで動けるようになり、40になって惑うことがなくなり、50になって天が自分に与えた使命を自覚し、60になって人の意見を素直に受け入れられるようになり、70になって心の思うままに行動しても道理から外れることがなくなった」ということだとか。
おや?論語を読んだことは無くてよく知らなかったけれど、この言葉って、別に「人間は各年代にこういう姿を目指すべき」と語ったものではなくて、孔子が「自分の人生(人間形成)はこうだった」と語ったというもののようだね。 ただ孔子に憧れる人にとっては目標としての意味が出てくるという事か。
余談だけれど、一説によると40歳の「不惑」は「不或」が正しく、その場合は「四十にて区切らず=自分の視野を広く持って新しいことからも多くを学べ、新しいことにも挑戦しろ」という意味になるそうな。

で、この言葉に対して、私自身はどんな状態だろう?

40で惑わなくなるようになんてなれる気がしないどころか、当ブログの更新が滞っている間に、新年度を迎え社長達が新入社員に送った言葉なんかを読みながら、私から新入社員達に送れるアドバイスなんて「電車で揺られない立ち方」くらいしか無いかも、なんて思ってしまう体たらくのサラリーマンなので、そうすると30で自立出来ていたかも怪しいところ。

それはそうと今更疑問に思ったが、孔子っていつの時代の人なの?
調べてみると、
紀元前552年から紀元前479年に生き、72歳で亡くなった中国(春秋時代)の思想家、哲学者。
2千5百年前の人か。そんなに昔の人だとは思わなかったな。

ちょっと待って! その時代に72歳まで生きるって、めちゃくちゃ長寿じゃないの?
と思って更に調べてみると、
同時期、つまり縄文時代の日本人の平均寿命は15歳弱。
でもこれは、昔の人がみんな短命だったという意味ではなく、か弱い幼児期の死亡率がすごく高かったということ。致命的な怪我や病気さえしなければ(それが難しいのだけれど)当時でも70歳、80歳まで生きることは出来たらしい。
ちなみに、釈迦も同時代(紀元前5世紀前後)の人だった。北インドの人物で、仏教の開祖である。釈迦もまた80歳まで生きた。そして悟りに達したのは35歳のときだったという。なんだか孔子とよく似ている。

日本はまだ縄文土器か弥生土器かとやっていた時代だったけれど、その頃に現代にも教えとして生きる思想・哲学が世界各地で生み出され書籍等として残されてきた、というのは凄いことだなと(この歳にして)思う。


暗記教科が嫌いで世界史もほとんど勉強した覚えが無いけれど、こんな風にして調べてみると面白い。「40にして不或(新しく学ぶ)」っていうのはこういう事かな?違うか(笑)

論語と仏教がほぼ同時にそれぞれ生まれたという事実は何か興味深いが、ではこの時代に他には何があったのか・・・?
おお、映画『300 〈スリーハンドレッド〉』で有名なテルモピュライの戦い(ペルシア軍がレオニダス王率いるスパルタ軍を全滅させる)もこの同時期、紀元前480年の出来事とな。
あの映画のイメージしか無いけれど、あのレオニダス王もまた、志が立ち、自立し、惑わず、天命を自覚し、心の思うままに行動して道理から外れなかった人ではある。孔子や釈迦と並べて語るのは憚られるが、レオニダス王の思想(?)「ウィー、アー、スパルター!」は個人的には大好きだ。

まぁ、ここらで現代の現実に立ち返るとして・・・そんなこんなから2千5百年経って、人間はその年月に見合った分賢くなったかというと、どうだろう?
文明がものすごく発展したのは確かだ。
孔子ひとりが2千5百年生きたところで、飛行機だの車だのインターネットだのパソコンだの品種改良されたイチゴだのといったものが現在のように存在する世の中にはなってはいまい。・・・ん?いや、その比較はおかしい・・・。
えーと、仕切りなおして、更に思いついたままに雑な計算をすると、

●今現在の世界人口は76億人だという。
●その平均年齢は分からないけれど、2016年の世界保健機関(WHO)調べの世界平均寿命は71歳だから、その半分が平均年齢って事にしよう。

すると、 76億人 × 71歳  ÷ 2 = 約2千7百億年(歳)


これが今生きてる人間の現在の年齢の合計値って事になるが、つまり、今の地球には一人の人間が2千7百億年生きて積み重ねるのに等しい英知が(アウトプットされているかどうかは別として)存在しているはず、と言って良い。
いやいや、2千7百億年ってどんなだ?壮大過ぎて分からない。 ビッグバンが138億年前というから、ビッグバンから現在までを大体19回やり直すことが出来る年月である。 なるほど全然わからない。
そんな年月分の価値があるほどの文明が今の地球上にある、と言えるのかどうかー・・・なんて事を考えてみたくてこんな計算を始めた気がするのだが。
そんな年月分の価値があるようにはどうも感じられないのは(個人の感想です)、人々の意思疎通が完璧ではないから、そこでの情報ロス率が高いということが理由のひとつとして言えるだろうか? 人類が全員孔子だったら(釈迦とかホーキング博士とかでも可)、そしてその意思疎通が完璧だったとすれば、言い換えれば、孔子ひとりが2千7百億歳まで生きたらどんな次元まで到達できるのだろうか? 完璧な意思疎通・・・あれ?もしかしてA.I.(機械)になら、理論上だけでも、そんな次元まで到達出来る可能性があるのだろうか・・・? って、あぁ、もう自分が何を言っているのかも全然分からなくなってきたぞ。
こんな時は初心に返ろう。

つまり私に言えることは、電車に乗ったら吊革につかまれよ、って事だ。




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