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2018年08月30日 (木) 00:10 | このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - 先輩の自殺 2018 | | | Edit |
また・・・

そう、また、

会社の近い先輩が自殺した。

また東京でだ。

一体何が起きてるんだ?

前回は2年前くらいだったか、と、振り返ってみたら前回は4年前だった。そんなに経ったのか。時の経つのは早いものだ。
私の代にはまだ死者はいない。
そもそも就職氷河期世代で人数が少ないが、ただその中でも鬱で休職したりした事がある者は複数人いる。

今回亡くなった人も、良い人だった。
数年会っていなかったし、なぜ命を絶ったかは分からない・・・けれども仕事が関係無いってことは無いだろう。

この社の企業理念が「人がいきいきとする環境を創造する」である事は悪い冗談のようにしか聞こえない。

個人的には、この会社内にそんな理念の存在を感じたことは、入社以来一度も無い。
まぁ民間企業だし、もちろん利益優先で、理念なんてただの対外的なキャッチフレーズ以上でも以下でもないというのが現実である事は全く問題無いと思う。ただ、あまりにも空々しい。もう少し何か取り繕う位の事はしても良いのでは? 社長が彼の墓前で手を合わせる機会はあるのだろうか?もしあるのならば、その時にそのキャッチフレーズを思い浮かべて絶句するがいい、と思う。せめて絶句するような感性が彼にある事を望む。


そんな我が社の新CMである、新海誠監督の最新作でもあるTVCM「シンガポール地下鉄編」が5月からTV放送中。
主役の声は長澤まさみ。歌はスキマスイッチだとか。
昔はモヤさま(日曜18:30~)で見れた同社CMだけれども、今は日テレ系日曜ドラマ(22:30~)枠内の放送らしい。なんか若者向けにそこそこ今どきの若手俳優で漫画原作とかのドラマをやってる枠。微妙な枠ではなかろうか。
『君の名は。』が人気の頃には完成していたけれど、同じ地下鉄工事に通ずる博多駅前地下鉄工事陥没事故の影響でお蔵入りしかけ、結局『君の名は。』ブームがすっかり冷めてからひっそり公開した形。
案の定何の話題にもなっていない。
まぁ、それも良かったのかも。 今日は博多でまーた道路が陥没したところだしね。


亡くなった先輩に対しては、事情も分からぬ私は軽々しく「安らかに・・・」とは言えないのだけれども、生前お世話になった事には感謝させて頂きたい。有難うございました。


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テーマ:ブラック企業
ジャンル:就職・お仕事
2018年08月26日 (日) 12:28 | このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - 昨日は月が綺麗でしたね。 | | | Edit |

そんなわけで試験を受けにやってきたのだ。

結構難しくて笑う \(^O^)/

午後からの論文試験もとりあえず真面目にやってみます。

テーマ:転職
ジャンル:就職・お仕事
2018年07月20日 (金) 01:13 | このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - 爺さん(1917年生まれ)から贈られた木馬 | | | Edit |
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私の家には古い木馬がある。
底面には父方の祖父の名が刻まれている。
「○○年○月 (私の名)満一歳 誕生祝 祖父○○」 
私が小さい頃にだいぶ使い込んで小さな傷がたくさん付いているが、優しいフォルムのその木馬はしっかりした作りの品で、今では私の娘が楽しそうに使っている。

先日、その祖父が亡くなった。

100歳だった。

同じ事を何度も繰り返ししゃべるなどするようになってきてはいたものの基本的に頭も体もしっかりしており、去年は誕生日の直前に一度体調を崩したものの持ち直し、無事、本人も楽しみにしていた100歳の誕生日を迎え、遠方に住む私もお祝いの品を送ったし、市からも賞状や記念コインみたいなものを貰ったそうだ。 先日生まれた長男も一度会わせに行きたいと思っていたのだけれど、また体調が急激に悪化し、今度は駄目だった。
しかし大往生だったと言えるだろう。

それにしても100年とは畏怖を感じさせる長い年月だが、あまりピンと来ないので、爺さんが生まれた 1917年 (大正6年) はいったい何があった年なのか調べてみた。

それは第一次世界大戦の真っ最中であった。(第二次どころか第一次かよ。)
中華民国で孫文が広東軍政府を樹立したとか、ロシア革命が起きたとか、フィンランドがロシアから独立を宣言したとか、歴史上の出来事としか思っていなかったものがその年の年表に並ぶ。 ニコン(当時は日本光学工業株式会社)、森永乳業(当時は日本煉乳株式会社)、明治乳業(当時は極東練乳株式会社)が創立されたのもこの年。 Wikipediaによればフィクションの世界では、いちご坂がノワールの手によって闇に落ちるも当時のプリキュア・ルミエルがノワールと戦った(アニメ『キラキラ☆プリキュアアラモード』)のもこの1917年だそうである。マジかよ。
しかし何より私にとって一番インパクトがあった事実は、この祖父が 第35代アメリカ合衆国大統領 ジョン・F・ケネディ とタメだった事だ。 それを知った瞬間に胸に湧き上がったのは、特に意味も無く面白がり感嘆する気持ちと、少し恐怖にも似た畏怖が半々くらいの気持ち。 それは遠い過去の、『歴史』としか認識していなかった出来事(しかも主に戦争)が身近に感じられた瞬間だった。
100年は、世界が何度も大きく変わりうるだけの年月であると共に、人ひとりが生ききる事が出来るだけの年月でもある。 長いような、短いような。

近い親族だけの小さな葬儀が行われ、通夜の喪主挨拶では爺さんの生涯が紹介された。
東北の田舎の裕福な家の9人兄弟のひとりとして生まれたものの、バス事業が失敗して一家困窮する生活に変わり、戦争が始まって中国に派兵され、負傷し、亡くなった戦友の妹と結婚し、無一文で大陸から引き揚げてきて、、、と、意外なように当然のように波乱万丈で、そして私は初めて聞く内容が多かった。

私はまだ長男が生まれたばかりであったので、遠方で行われるこの葬儀に妻子は同行せず一人で来た。集まっていた親戚の中には私が約30年ぶりに会うような人も多かったが、再び顔を合わせることが出来たのは良かった。よく言われる事であるが、これも故人=爺さんのおかげと言える。
大往生ということでしんみりより和気藹々とした通夜の食事が終わり、人が減りテーブルも綺麗に片付くと、今度は女性陣だけが1つのテーブルに集まって(男性陣は距離を置いてさっさと解散)、今だから言える爺さん・婆さんについての暴露話を笑いあう女子会が始まった。 翌日の告別式まで含めて、皆から100年を労われ、感謝され、誠意を持ってしっかりとした葬式で温かく送り出された爺さんであるが、しかしそこは大正生まれの爺さん(と婆さん)である。 家族旅行中に訪れた温泉旅館の女将さんに一目ぼれした爺さんのエピソードなんかは普通に笑える話だったが、我が子らやその嫁達に(現在の価値観からすれば)まるで洒落にならない理不尽・傲慢な仕打ちをした事も1度や2度ではないようで・・・地獄の女子会は夜遅くまで続いた。 まぁそういう事も含めたものが「弔う」という事なのかもしれない。


かく言う私も、この祖父母とは色々あって約25年間にわたり一切の関わりを絶っていた人間(爺さんの長男の長男)なのである。

4年前、私の結婚式の時に、私は爺さんに電話を掛けた。
その電話で私と祖父は約25年ぶりに言葉を交わした。

爺さんは私の結婚にあたり祝儀金を私の父に託した。祝儀と共に父に託された伝言は「この金は返さないで受け取って欲しい」だった。私は少し考えてからその祝儀を受け取ることにし、電話はお礼を言うためにすぐ式場の待合室から掛けた。短くも普通の会話をした。
それがきっかけとなって疎遠ながら交流が復活し、2年前には私は妻子を連れて家族旅行がてら爺さんに会いに行った。
当時、爺さんはまだ(既に)98歳。 爺さんはサービス付高齢者向け住宅に入っていたが、まだまだ元気で頭もしっかりしていた。 正直に言って、どんな面会になる事かと危惧もしていたけれど、どこにでもいる祖父(母)と孫のような和やかで穏やかな時間を過ごす事が出来た。 嫁も安心したのではないかと思う。
この約30年ぶりの再会が、私と爺さんの生前最後の対面となった。


私と祖父母の間の真に暗い思い出を語る気は無いが、ただ、「この金は返さないで受け取って欲しい」の言葉の意味はここに書いておこうと思う。


30年ぶり且つ生前最後の対面時、1歳になったばかりの私の娘が曽祖父に上機嫌にあやされつつ大泣きする様子を見ながら、私は木馬のことを思い出して、
「爺さんが私の1歳の誕生日のお祝いにくれた木馬、まだ現役で今はこの娘ちゃんが漕いで良く遊んでいるよ」
と言ったのだが、爺さんは何のことだか分からない様子だった。 まぁ98歳じゃなくてもそんな昔に人に贈ったプレゼントを忘れてしまうのは仕方ない。しかし、そうではなかった。

後日、私の両親から木馬の件について「あの場では言わなかったが」と説明された。

あの木馬は、爺さんから誕生日祝にと貰ったお金で両親が選んで買って、底に祖父名を彫ったものだという事だった。だから祖父は木馬の認識がそもそも薄い。そして・・・
私は中学生時代に、祖父から、それまでに祖父母から貰った誕生祝やお年玉などについていつ・いくら渡したかが書かれたリストを送りつけられ、その金を全て返せと迫られた。 何か喧嘩していて売り言葉・買い言葉でそういう流れになったわけではなく、祖父母が金に困窮していたわけでもなく、ただ、そう、故人である事に配慮して言っても、祖父母はそういう無茶を言って相手が困ったり怒ったりするのを見て喜ぶような人達で、その意地悪に特に理由は無かった。 この返金要求については最初は「何を馬鹿な」と跳ねつけたけれど、その後の挑発的な催促にキレた両親はその金額に利息を上乗せして祖父に突き返したのだった。 つまり、今やこの木馬は祖父の金で買った物だとすら言えないのだ。
私は、お年玉などを全て返した事はもちろん覚えていたけれど、木馬もそこに含まれる品だったとは知らなかった・・・。(そんな話は知りたくなかった、と聞かされた当初は両親にイラついたものだ。)

元々疎遠だったし、絶縁の主な理由は全く別にあるが、最終的に私と祖父母が完全な絶縁状態になったのはこの粗末な返金事件からだった。
そうして私の妹の葬式に彼らは参列せず、婆さんの葬式に私達は参列せず、お互いその墓の場所すら知らない。一切の連絡も取らなかった。ずっとそのままで良いと思っていた。

長い年月の断絶後、どんな心の動きがあって爺さんが結婚祝儀を「この金は返さないで受け取って欲しい」という伝言と共に父に託したのかは分からない。 改心するような人ではないと思っていたが、とうに祖母が亡くなり、いよいよ老人ホームに入り、100歳も近付く年齢となって何か思うところがあったのか。

一方の私は、結婚祝儀からの交流復活が無ければ、今回私が祖父の葬儀に行くことも無かったはず。 それで良いと思っていた私が、結婚祝儀を受け取り拒否せず祖父との絶縁状態を解消する方向に歩むことにしたのは、妻子の為になる可能性を感じた事だけが理由であった。
それから4年。 葬儀で祖父を穏やかな気持ちで見送った今は、許せぬ事は許せぬまま、それはそれとして祖父母がいなければ私もこの子供たちも世に存在しなかった事、そして2度の世界大戦を含むこの100年、いや他の時代であっても100年間という人生の凄みにある種の敬意を抱きつつ、一般的=幸せと呼べるような祖父と孫としての形で最後を締めくくる事が出来た事を大事に、これで良かったのだと思っている。
私は、娘や息子に対して、祖父母(子供たちからすると曽祖父母)について優しかったとか良い人だったとかの作り話をする気は無い。だが特に悪い事を伝える気も無い。 ただ木馬の裏に祖父の名前が彫られている事、娘は赤ちゃんの頃に祖父に実際に会ってあやしてもらった事、息子には祖父が誕生を喜んでくれていた事を伝えようと思う。
近い将来にはまだ赤ちゃんの息子も自分の足で立って木馬で遊ぶようになるだろう。
いずれこの子たちを連れて祖父母の墓参りに行く機会もあるのかもしれない。


爺さんは結婚祝儀のお返し(内祝い)で嫁が選び私が送ったガウンジャケットを愛用してくれていて、その後、傷んできたジャケットの代わりに100歳のお祝いで新しいジャケットを贈った。
爺さんの遺影には、そのジャケットを着て笑顔を向けている写真が使われた。








【蛇足余談】
爺さんは、生前最後に対面した際、ある有名なボクサーが親戚であると話していました。
ただ本当に親戚であるかは不明です。
通夜の喪主挨拶で紹介された爺さんの生涯で、爺さんには8人の兄弟がいたという事だったので、もしかするとそのボクサーは爺さんの兄弟の誰かの孫なのかもしれない、なんて思うものの、祖父亡き今、私の父達を含めてその方達と付き合いのある親戚はいませんし、その消息も不明。勿論、その関係者の葬儀参列もありませんでした。


2018年06月15日 (金) 08:32 | このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - 省略したの。 | | | Edit |
「まだ大きくなるんだけど・・・。」

「けど、何?」

「省略したの。」


朝、食卓に着くと、先に食べ始めていた3歳の娘が皮をむいたミカンを手に持ちながら、皮を剥いた時に中の身にまで穴を開けてしまったこと、そしてその身から食べ始めたことを話してくれた。 最近は起きている間ほぼずっとしゃべりっぱなしの娘である。
続いて、ミカンを食べながら発した一言が「まだ大きくなるんだけど」。
何が大きくなったのか?何の話なのか? ちょっと待ってみたが、ミカンをもぐもぐ食べ続ける娘から続きの言葉が出てくる気配が無い。
「けど、何?」と聞いてみた。
すると真面目な顔で「省略したの。」と言われた。

ん? え、省略?

そう、省略。

3歳になったばかりの小さい娘から唐突にそんな難しい言葉が出てきた(しかも使い方合ってる!)事が信じられないやら可笑しいやら。どこでそんな言葉を覚えてきたのやら。笑って朝から爽やかな気持ちにさせてもらった。 よくよく考えると、一ヶ月くらい前にまだ年長向けの絵本をせがまれて読んだ時、案の定途中で興味を失った様子だったので「~~でした。そこで、、省略、、くらしました。おしまい。」と言ったかもしれない。でもその一度だけだ、多分。 子供の学習能力って凄いし面白い。

あー、何だったんだろう。
ご飯を食べて私はもっと大きくなる(成長する)って言いたかったのかな。(笑)



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テーマ:パパ育児日記。
ジャンル:育児
2018年05月23日 (水) 02:07 | このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - 映画『それいけ!アンパンマン ブルブルの宝探し大冒険!』 に大人気なく文句言う | | | Edit |
頭がこんがり焼けて髪の毛は無く、赤いコスチュームを着た、不死身のヒーロー。

と言えばデッドプールかアンパンマンである。
今回はアンパンマンの話。

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アンパンマンの1~2歳の幼児の心を掴む力の強さは異常だ。
我が家では、私も嫁もアンパンマンを(あまり好意的に思っておらず)娘に積極的には勧めなかったが、例に漏れず娘もアンパンマンに夢中になった。以降、テレビアニメこそほとんど見せた事が無いものの、おもちゃはそこそこ購入したし、一時期の自家用車内では娘が(その時々に)指定するアンパンマンソングが延々と流れ続けた。
そして2歳に成り立ての娘が映画館デビューを果たしたのが、『それいけ!アンパンマン ブルブルの宝探し大冒険!』 だったのである。

「アンパンマンが小さなお子様の映画デビューをおうえんしてくれます♪ 初めての映画は大好きなアンパンマンと一緒に!」 という宣伝文句で、劇場内はやや明るめ、音量はやや小さめ、内容はアンパンマンで、途中で一緒に歌ったり出来るシーンも挟みつつ上映時間はわずか62分、子供が途中でしゃべったりしても気兼ね無し! だったのだが
ちくしょう、デッドプールを見習えよ!!


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【ストーリー(概要)】
宝探し一族のライオンの男の子ブルブルは、一人前になるため、お父さんから渡された宝の地図を手に旅に出る。強がっているが本当は怖がりなブルブルを手伝うことになったアンパンマンたちだったが、そこへ宝を横取りしようと企むばいきんまんたちもやってきて……。
(2017年7月1日公開のシリーズ通算第29作目)



まぁ、娘(2歳)に、映画を観る前にテレビアニメ版をほんの2、3回しか見せた事が無かったのは良くなかったかもしれない。
メロンパンナちゃんがパンチするとハートマークが広がったり、クリームパンダのパンチがジャンケンみたいだったり、そんなのこの映画を観るまで知らなかった。
それを見て娘は歓声を上げて「わー、楽しいねえ!」と小躍りして大喜び。
・・・というのは映画館デビューから数ヶ月経って改めて本作を自宅でTSUTAYAレンタルしたDVDで観た時の話しである。
映画館で観た時には、開始45分程で娘は挫折。
ブルブルが蛇に食われかけて絶叫したところで「怖い!もう嫌!お母さんのところへ行く!」と大泣きし始めてしまい、残り15分ほどのクライマックス(上述のメロンパンナちゃん達活躍シーン含む)を観ずに映画館を出たのだった。

実際、「アンパンマンが小さなお子様の映画デビューをおうえん」してくれるような作品では全く無かったのである。

★ブルブルってキャラは8割叫ぶか号泣 → 劇場内、つられて泣く子供多数
★ブルブルと組むのはカレーパンマン → アンパンマンは中盤全く出番が無い


これが2大問題点だが、他にも問題山盛りだった。

既にシリーズ通算30作目となる次作『それいけ!アンパンマン かがやけ!クルンといのちの星』が間もなく2018/6/30(土)から全国公開されるという事で、全く今更なのだが『ブルブルの宝探し大冒険!』に対する文句を書き連ねておく。 ちなみに『デッドプール2』も6/1(金)から公開である。


① まずオープニングの観客参加型パートからダメ

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人気曲を劇中キャラクターと一緒に歌ったり手拍子したりして楽しめるパートがある、という触れ込みであったが、これが映画冒頭いきなりあって、しかもそこにしか無い。そしてキャラクター達が画面の中から観客に向かって「さぁ映画を観ているみんなも一緒に!」などと呼びかけてくる事も無い。 歌い出そうとする子供を「ダメよ」と制する親御さんの姿が劇場内で散見された。
ダメなのは子供ではなくこの映画である。
画面から観客に平気で話しかけてくるデッドプールを見習えよ!
というのは半分冗談だが、他の子供向け映画では普通に行われている事である。
どうやらこれはアンパンマン映画の毎度のお約束らしいのだが、そんな事はこちら(観客)の知ったことではない。むしろ29作も作ってきて何も学んでいないのかとあきれる。

更に言うと、この冒頭シーンは、その後の本編に全く関係が無い


② 『それいけ!カレーパンマン』をやるなら先にそう言え

初めから最後までスポットが当たり、ブルブルと関わっていくのはカレーパンマンである。
新鮮で面白いと言えなくはなかったが、それならそれで、映画のストーリー概要とかポスターとかで最初から「今回はカレーパンマンが大活躍!」などと謳うべきだっただろう(ポスターでのあの小さい扱いは何だ?)。 『それいけ!アンパンマン』を楽しみにして観に来た子供たちはどう思うのか? 私は、アンパンマンがしばらく登場しなくなった映画中盤で、娘から「アンパンマンは?」と聞かれた。そういう事だと思う。
「子供の付き添いで来た大人たちの為に、ちょこっといつもとは違う展開を見せてあげよう」とか「ちょっと飽きてきたからたまにはカレーパンマンが活躍する話でも作るか」とか考えたのか知らないが、多くの大人達はアンパンマン映画そのものを観に来たのではない。アンパンマンを観て喜ぶ子供を見に来たのだ。
この製作陣からは観客目線が抜け落ちているように思う。
「過激で面白いもの」を求める観客層に向けてばっちり求めている通りのものを実現して見せる事で、R18+指定を受けようとも世界中で大ヒットした『デッドプール』を見習いなさいよ。

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③ 映画オリジナルキャラのブルブルがダメ過ぎる

ダメ出しする前に先に断っておくが、娘はブルブルが大好きである。
映画を観てから数ヶ月はブルブルに全く興味が無さそうだったのだが、映画館デビューは大きく心に残る出来事だったらしく、いつの間にかブルブルのおもちゃを欲しがるようになり、ライオンの子供(ブルブル)にも興味を持ち、実物を見たいとサファリパークに行き、実物を抱っこして写真撮影し、帰りに買ってもらったライオンの子供のぬいぐるみに大喜びし、それを「ブルブル」と呼んであちこちに連れ回すようにもなった。 それに、自宅で同作のDVDを見たときには大はしゃぎだったのは先述の通りである。

それを踏まえてこんな事を言うのは心苦しいが、ブルブルというキャラはクソだ。

弱虫で怖がりなキャラが他の者のピンチに勇気を出して一皮向けて成長して大団円、というストーリーはよくあるもので一見その通り話が進行していくが、このブルブルは弱虫も怖がりも強がりも度を越している上に、(この手のキャラが持つはずの)優しさや思いやりや賢さは全く見受けられない。長所が無い。
登場シーンからして、彼が掘った穴のせいで崖から落ちかけ(てカレーパンマンに救われ)たカバオに対し、傲慢に知ったことかと言い放つ。その後、実は強がっているだけで弱虫なのだと判明した後はひたすら叫び号泣し続けるだけ。一度だけ極端に高難度(成功する方がおかしい難度の上に失敗したら死ぬというハイリスク)なチャレンジに挑んで、失敗して(カレーパンマンに命だけは救われるが)またいじけて号泣。これでは同情心も沸かず、ただただうっとうしい
最後こそ、散々世話になったカレーパンマンのピンチを救えるのは自分しかいないのだからと勇気を出した行動が功を奏するのであるが、動機はそれ以上でも以下でもなく、他のキャラは眼中に無い。そうして何をしてもだめだといじけていた彼が自信だけを得て真の宝探しに向けて歩み出したエンディングは、果たしてどの程度のハッピーエンドなのだろうか。

クソはクソでも、クソ無責任ヒーローと銘打たれ人気を博したデッドプールと違い、ブルブルは愛しようが無い。 デッドプールを見習えと。


④ ブルブルの家族(宝探しのライオン一族)もクソである。

彼の兄達は弱虫なブルブルをおちょくって(いじめて)泣かせて笑うだけ。
彼の父は「宝を見つけるまで帰ってくるな」と彼を怒鳴りつけて家から放り出すだけ。
(母の描写は無い。)

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確かに、「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」ということわざはある。獅子は子が生まれてから3日経つと、わが子を深い谷へ投げ落とし生き残った子だけを育てる、という中国の言い伝えを基にした諺で、自分の子に厳しい試練を与えることで立派に育てるというものの例えである。
最後、宝箱の中に入っていたのは、一人前の冒険家になった事を認める証の帽子と、真の宝物の地図であった。 なるほどこれは父がブルブルに与えた試練だったのだ。
・・・それで良いの?

実は陰からひそかに父や兄達がブルブルの冒険を見守っていた、という描写が入るならば良い。 例えば、ラストで遠くに吹き飛ばされたバイキンマンが再び宝を狙いに戻ろうとするところを父や兄達が取り押さえる、とかだ。 しかしそんな描写は無い。
宝探しの舞台となったオニツノ島はなかなかに危険なところで、実際、ブルブルはワニにもヘビにも食われかけ、尖った岩を吹き付けてくる守護者(いいかげんに城)達に襲われ、崖からも落ちかけた。いずれもアンパンマンらに救われたが、そうでなかったら死んでいた。 そんな試練に放り出して後は無関心に放置する事は、子の成長の為の愛のムチの美談にはならない。 いまどき、一体何を考えてこんなストーリーにしたのだろう。 子供に何を伝えたいのか? 何も考えてないに違いない。

デッドプールは過激で面白ければそれで良いと言わんばかりの内容だったけど、ちゃんと筋の通ったラブストーリーだったぞ。デッドプールを見習えよ。

(ちなみに、上記の諺の獅子というのは想像上の架空の生物であり、中国故事の麒麟が動物のキリンの事ではないように、この獅子はライオンの事ではない。そしてライオンは我が子にそんな事はしない。)


⑤ 舞台設定から何から何まで安易

今回の映画の(宝探しの)舞台となるのは、オニツノ島という島である。
見た目がの頭に似て、2本の角が突き出たような形をしている。

角の先端に隠されている宝の鍵は、月と星の形。

島の中の宝が隠された遺跡は、ヨーロッパあたりにありそうな石造りの古い砦といった趣の遺跡。

そこで力づくで宝を得ようとした者に牙を向く守護者達は、岩の小さい砦に手足が生えたような、昔のドラクエに出てきたゴーレムという敵のような姿である。

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・・・何だろう、この統一感の無さは?
鬼なら鬼で、モチーフ統一して守護者も鬼の姿にするとか、桃太郎に絡めて犬猿雉の姿にするとか、何かしてよ・・・。 あとそこに何らかの物語性も持たせなさいよ・・・。
製作陣はこれがアンパンマンだからってなめてるとしか思えない。「小さなお子様の映画デビューをおうえん」だなんて、そんな事するつもりも無い宣伝文句並べて、いや、そんな事しなくて何もしなくてもそれなりの数の観客が勝手にやってくるから、あとはそいつらに、小学生が1分で考えたようなストーリーとデザインで適当にアンパンマンが動く動画を見せておけば十分、とか思ってんじゃないの?
アンパンマンが、言葉も分からないような子供を(国籍や文化も問わずに)強烈に惹きつける力を持ちながら日本国内でしか通用しないものに留まっているのは、アンパンが日本にしかない食べ物だからとか、顔を食べる描写が食人を想起させるからとか(日本にだって食人文化は無いっつーの)いう理由ではなくて、こういう心意気やクオリティの低さが一番の原因ではないのかと思う。

分からないではない。
この先10年、20年後も変わらず幼児達に愛され続ける(同じような興行収入を上げ続ける)為には、そんな熱意は不要で、この程度のクオリティを維持し続けることこそが肝要なのだろう。長い目で見た商売上の都合ってやつだ。
しかし、前作を、既存の作品を超えようという心意気も、いかなる思いも、熱も、魂も込められていない作品のなんとつまらないことか。
デッドプールを見習え!なんて言っても、「じゃあお前はハリウッド作品だけ見てろよ」と返されるだけなんだろうな。つまんない。はいはい、俺は『デッドプール2』を観に行きますよ。すごく楽しみにしているよ。『それいけ!アンパンマン かがやけ!クルンといのちの星』も娘からリクエストされそうだから観に行くかもね。どうか『ブルブルの宝探し大冒険!』よりマシなものでありますように。


⑥ ちなみに、映画鑑賞者(お子様)にはポストカードが配られた

劇場を出るとスタッフから映画の思い出を書き綴れるポストカードが配られた。

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「はじめての映画館の思い出 記念レポート」
「写真を貼ったり、メッセージをかいて、大切な思い出を残しましょう★」とある。
そんな楽しい思い出になるかと思って行ったんだけどね。 まぁ、今となっては良い思い出ではある。


⑦ ついでに言うけど、ブルブルのモデルになった絵本『やさしいライオン』ってどうなの?

当映画のブルブルは、アンパンマン原作者のやなせたかし氏による絵本『やさしいライオン』の主人公をモデルとして作られた映画オリジナルキャラクターである。
ただし、『やさしいライオン』の主人公とはライオンの男の子で名前がブルブルという事以外は特に共通点は無い。

ちなみにちっとも優しさが見えない映画版ブルブルに対し、『やさしいライオン』はどんな話なの?というと、

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【ストーリー】
動物園にいた孤児のライオンの男の子が、優しい犬に育てられ、優しいライオンに育ちました。やがてライオンは都会のサーカスに連れて行かれて2匹は離れ離れに。しばらく経ったある日、ライオンは母犬の子守唄が聞こえた気がして、会いに行くために檻を脱走し、街を駆け抜け、そしてすっかり歳を取って今にも死にそうな母犬を見つけました。しかしその場で警官隊に射殺されてしまいます。それでも2匹は心安らかに仲良く天に召されました。おしまい。



分からない・・・。なんでこれが、良い話風に語られ、「やさしいライオン」なんて題名が付けられているのか、本当にさっぱり分からない。
親が、老衰の死に目の最期に見たものが、息子が目の前で射殺される光景だぜ? 会えたから幸せとか、人間恨んでないから優しいとか、それでいいのかい? 激怒した犬が警官隊全員食い殺した後にライオンの亡骸を守るように仁王立ちしたまま死亡、なんて話の方がマシだと思う私はこう言いたいね。

『ランペイジ 巨獣大乱闘』 を見習えよ!(笑)


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テーマ:映画館で観た映画
ジャンル:映画